13年(1938年):校旗制定
本校学校報告団結成
運動部宿泊修養會(籠球、排球、庭球、卓球、陸上部)
14年(1939年):薙刀 正課となる
県女子中等学校競技大会の各種種目に優勝
15年(1940年):学級増加(定員1,250名)
創立40周年記念行事挙行(慰霊祭)
「花橘」創立40周年記念号発行
16年(1941年):校友会に「国防部」「訓練部」新設
交友会を「報国団」と改称
5年生「関西聖地参拝旅行」
17年(1942年):東側隣接空地購入(園芸実習地、勤労作業場、弓道場、テニスコート)
5年生100名「陸軍兵器補給廠」に勤労動員
5年生「関西聖地参拝旅行」
英語随意科目となる
18年(1943年):2年生「森永製菓」に勤労動員
修業年限を4カ年とし、専攻科を置く
テニスコートが菜園と化す
19年(1944年):専攻科廃止
3年生以上「住友通信機」に動員
2年生「森永製菓」に勤労動員
昭和20年(1945年):5年生と共に4年生も繰り上げ卒業/警戒警報発令で急遽、式は終了する
学校が工場化する。工場機械搬入
建物疎開のため、木造校舎(雨天体育場、修養道場)取り壊し
長澤恭治校長退任
第8代中原豊蔵校長就任
5月29日:横浜大空襲、本館以外は焼失
8月15日:終戦
10月1日:授業再開
教科書回収に関する覚書示達
21年(1946年):4年で卒業する者102名、半数は進級5年生となる
週5日制、土曜日は自宅学習
22年(1947年):6・3制開始/ホームルーム制となる/校友会は「生徒自治会」となる
第一高女、自治会規約制定
生徒会文化部主催「アンティゴーネ」公演(県下学生演劇の出発)
「真澄」第1号発刊
英語芸能祭に「クリスマスキャロル」で1位になる
第1回自治会総会開催
23年(1948年):通信教育課程を併置
校名改称「神奈川県立横浜第一女子高等学校」
生徒自治会第1回総会開催
「第一高女時報」発刊
”学校キャンプ”復活
音楽部、県下コンクール優勝
県下作文コンクール 1位、中・高 1、2、3位独占
県英語コンテスト1位
24年(1949年):第一高女第46回(最終)・新制第1回卒業式挙行
講座別の教室になる
ホームルーム・生徒集会・クラブ活動が正課となる
県立横浜幼稚園併置
中原豊蔵校長退職
第9代保坂周助校長就任
卓球・県下高校大会優勝
バレーボール部・全日本予選優勝
第4回国体・(バレーボール、体操、水泳、卓球出場)
県立第二高等学校 火災見舞金募金、校舎一部貸与
25年(1950年):保坂周助校長転出
第10代佐藤秀三郎校長就任
校名改称「神奈川県立横浜平沼高等学校」
男女共学第1回入学式(440名内、男子207名)
「真澄会」会則を改正
創立50周年記念行事
校歌の歌詞一部変更
運動会・四季別の対抗戦になる・応援団発足
第1回校内弁論大会
「花橘」復刊第1号
陸上部復活・野球、バトミントン、ソフトボール部創部
26年(1951年):生徒会報「平沼」を「平沼時報」に改称
柔道場を開く・柔道を正課にする
新聞部 県コンクール優勝
音楽部 県コンクール優勝
女子水泳部 県下総合優勝
27年(1952年):第1回校内マラソン大会
野球部 秋季大会準優勝
文化祭を校内展示会に変更、以降文化祭は3年に1度
保健実験校に指定
28年(1953年):漢文を必修科目とする
体育館落成(秩父宮妃ご来校)
テニスコート完成
女子バスケット部 インター杯2位・全日本総合選手権大会第3位
第1回校内駅伝大会(校内マラソンを駅伝にかえる)本校ー金沢文庫折り返し
29年(1954年):OBオーケストラ第1回発表会
第1回平沼vs翠嵐戦
「神奈川通教部報」第1号発刊
昭和30年(1955年):第1回文化祭
第1回定期演奏会
31年(1956年):剣道部創設
3年男子学年集会で「男女共学の完全実施」の要求決議
バックネット完成
ブラスバンド部創部
32年(1957年):県高校美術展で知事賞受賞(山田吉治君)
校内水泳大会はじまる
通信教育部 第1回体育大会開催
通信教育部 放送教育研究指定校になる
33年(1958年):男女混合クラス編成
NHK高校放送コンテスト1位(横浜やす子さん)
山岳部 南アルプス全山縦走
通信教育部生徒会会報「ひこばえ」「ひらぬま」発刊
34年(1959年):教育課程2コース制となる
佐藤秀三郎校長転出
第11代香川幹一校長就任
放送部 全国高校放送劇コンクール1位
体育関係部室完成
35年(1960年):通信教育部同窓会「いずみ会」第1回総会
36年(1961年):香川幹一校長転出
第12代高野 浩校長就任
新館(理科、芸術棟)落成
創立60周年記念式典挙行
通信教育部、通信制課程と改称
60周年音楽祭
37年(1962年):第1回平沼スポーツの日(6/21)
第17回国体(岡山)ラグビー部・水泳部出場
38年(1963年):学区改変(4高校・24中学)
平翠戦5連覇達成
第18回国体(山口)柔道部出場
高野浩校長転出
第13代鈴木忠夫校長就任
通信制 単独で卒業式を挙行
放送部・県コンテスト総合優勝
39年(1964年):鈴木忠夫校長転出
第14代石井 透校長就任
合唱部・全日本合唱コンクール関東地区大会、高校の部優勝
放送部全国放送コンクール音楽部門で全国優勝
40年(1965年):走り幅跳び県高校新記録(江口京子さん)
41年(1966年):弓道部・全国大会出場
放送劇・県総合優勝
合唱部・関東合唱コンクール大会2位
42年(1967年):県立横浜幼稚園 本校より分離
44年(1969年):石井 透校長転出
第15代朝野六郎校長就任
通信制文化祭
45年(1970年):平翠戦中止
平高祭を改称 平沼祭とする
新体育館・幼稚園・真澄会館 着工
理化学研究部・県科学教育振興会最優秀賞
合唱部・県下優勝
46年(1971年):西側4階図書館開館
平翠戦復活
新体育館、プール、幼稚園、真澄会館竣工
創立70周年記念式典挙行
47年(1972年):平翠戦中止
女子バスケット部・関東大会優勝
48年(1973年):平沼祭
49年(1974年):朝野六郎校長退職
第16代手塚喜一郎校長就任
野球部・秋期県大会で準決勝進出
50年(1975年):陸上部・関東大会400メートルハードルで優勝
通信制・全国定通陸上競技大会 砲丸投げ優勝(塩ノ谷正子さん)
女子将棋部・全国大会優勝 個人でも2、3位獲得
吹奏楽部・県大会金賞
51年(1976年):平沼祭 入場者2万人突破
52年(1977年):男子陸上・女子弓道部・国体出場
53年(1978年):第1回吹奏楽部演奏会
合唱部・県コンクール 女声高校2部で最優秀賞
演劇部・横浜地区コンクール優秀賞
54年(1979年):弓道部・市民総合体育大会優勝(秋山昌子さん)
平翠戦12勝12敗
手塚喜一郎校長退職
第17代雨宮 清校長就任
演劇部・横浜市高校演劇発表会優秀賞
「平沼時報」県コンクールで優秀賞
55年(1980年):県柔道大会 優勝(山口淑子さん)
吹奏楽部・全日本コンクール県東部大会 優秀賞
56年(1981年):創立80周年記念展、記念演奏会、記念式典
57年(1982年):雨宮 清校長退職
第18代山田貞夫校長就任
59年(1984年):山田貞夫校長退職
第19代田中恵一校長就任
田 中 恵 一 校 長 |
63年(1988年):田中恵一校長退職
第20代石川 浩校長就任
真澄会により「校舎さよならパーティー」開催
未完成です