「被災地へ、横浜市からのバキュームカー支援」に感激、仙台支部会員より、
                        
                        広報担当:H・M


仙台支部会員渡辺省二さん(64期)よりの寄稿。

3月16日、混乱の避難所で「横浜という文字」「早急の重要な支援」に
感激された様子が報告されました。横浜市に問い合わせしました所(経緯参照)
すばやい対応がなされていて驚きました。


救 援 車
                           渡辺省三(64期)職業研究者

「横浜から来たの?」と私は聞いた。
「はい」と答えた青年の姿と声はすがすがしい。
「よく 来れたね」
「。。。。。。。10時間かかりました」
「えらい! おじさんも横浜なんだよ」
「そうですか。。。。。(ほめてもらうと)うれしいです」
青年はにっこり笑った。

3月16日、まだ余震が続いて仙台市立高砂小学校の校舎3階に避難していた私は、
眼下の人々の動きをながめている時だった。バキュームカーの車体に「浜」の字をみつけ、
もしやと思って、早速おりていって車に近づくと横浜市環境部XXと書いてあり、
プレートは横浜800でまちがいなく横浜の車である。


すごい、よくぞ来た。聞けば、道路は分断され、ところどころ東北自動車道を通り、
ところどころ4号線を通って来たという。市の職員2人だった。


2ヶ月経った今、思い出しても胸があつくなる。横浜の奴らはいい奴ばかりだ。
仮設トイレの設置は済んでいたが、ガソリンの補給がままならない時に、後処理が
問題だったのだ。バキュームカーの救援とはなんと気の利いたことをするのだろうか。
しかも大震災後わずか5日目のことである。


 横浜開港に限らず、水道、新聞、パン、ビールはいずれも横浜から始まった。
前例のないことでも果敢に遂行してしまう浜っこ気質はいまだ隆盛なりである。

経緯(横浜市資源循環局)

東日本大震災の後、仙台市から横浜市へ様々な内容の支援の要請があった。

その中で資源循環局はまず災害発生後すぐ必要になる仮設トイレの後処理(し尿収集)ためのバキュームカー(小型2台、大型1台)の派遣を決めた。

3月13日夜に横浜を出発し、14日から活動開始、期間は3月13日から4月30日まで。避難場所等の仮設トイレの後処理にあたった。

仙台への「し尿収集の支援」は横浜市と新潟市の2市であった。

資源循環局はその他にごみ収集運搬隊も派遣している。