花橘52号 連載(2) 小泉正昭さん(54期) TBS報道局

2001年度の先輩セミナー

①6月28日(木)3校時 14組
 篠崎孝子さん(45期)有隣堂会長
②6月29日(金)6校時 15組
 小泉正昭さん(54期)TBS記者、アナウンサー
③9月12日(水)3校時 13組
 梅沢慎司さん(54期)小学館専務取締役
④10月4日(木)6校時 17組
 瀧井敬子さん(62期)東京藝大助手、音楽評論家
⑤10月23日(火)6校時 16組
 間瀬勝一さん(60期)テアトルフォンテ館長、舞台監督
⑥10月31日(水)6校時 12組
 遠藤ふき子さん(61期)NHKアナウンサー
⑦11月6日(火)6校時 11組
 吉田孝古麿さん(50期)合唱団指導者



小泉正昭さん(54期、TBS報道局)

 1962年TBSに入社しました。その年は、原爆による戦争が始まるんじゃないかという年、つまりキューバ危機の年でした。キューバを巡ってアメリカとソ連が激しくにらみ合う年でした。
 最初の仕事は、落語家が喋る前の前説。次第にニュースを読むようにはなりましたが、いろいろな仕事をやらされましたね。63年に報道アナウンサーになりました。毎日、取材に出るとか原稿を書くとかしているうちに、読むというニュース畑に40年いたことになります。
 その中で、未だによく覚えている事件についてお話ししましょう。昭和38年11月、夜の9時過ぎ、鶴見の生麦で161人の死者が出た列車事故がありました。入社1年目で、私はその日宿直でした。たまたま、その日は三井・三池炭鉱事故があり、その事故について解説委員が放送している最中でした。そのニュースに挟み込む形で、「また大きな事故が発生しました」と震えながら放送していました。全く偶然にTBSのスポーツアナがその電車に同乗していました。近所のクリーニング店で電話を借りて局に通報。午前2時頃、雷雨の中を翌朝のニュースに向けて、私は現場に急行。生々しい救援活動を目の当たりにします。修羅場でした。疲れたスポーツアナに代わり、私がリポートしました。遺体は鶴見の総持寺に安置されていました。その時、あるカメラマンの一人が棺をまたぎました。遺族は怒り、カメラマンは殴られました。取材する側が傲慢であってはならない、それが入社1年目の私の教訓です。気配りすること、それが大切だということです。中にはインタビュー中に階段から突き落とされる、なんてこともありましたが。
 63年11月にはさまざまなことが起こりました。総選挙の翌日、11月22日、日米TV宇宙中継。いきなり入ってきた映像はケネディ大統領暗殺という大きな日本語のメモ。JFKという映画にもなりましたね。アメリカにはまだ暗殺があるのかという想いがありました。その後、ベトナム戦争へ。報道記者として大きなうねりの中にいました。64年~65年にはトンキン湾事件、ベトナム戦争エスカレート。66年のある金曜日。それが魔の金曜日と呼ばれることになりました。今から6年前、年末の30時間TVで私のVTRを作ってくれたので、15分ほどですが見てください。

❋VTRの集約(関口宏の司会で)
 『修羅場の小泉というTBS放送部長がいます。66年エンプラ寄港反対運動撮影のための、海上からの生中継のシミュレーションの最中なんと全日空機が墜落。風の中でフェリーボートから中継。救助船のレーダーにて東京タワーの位置を知り、タワーに向けてパラボラを。スクープとなる。続いてカナダの航空機事故、BOAC機富士山に墜落など全て金曜日に起こった。そして、その現場にいつも小泉が居て、レポート。修羅場の小泉の姿があった。』

 言葉の選択はアナウンサーにとってはとても慎重を要する。例えば、航空機事故の際、遺族か家族かという言葉の選択はとてもむずかしい。生きているか亡くなっているかという判断は誤るわけにはいかない。
 そういえば、これはニュースの裏話だけど、BOAC機の遺体で男女の数が合わなくてね。調べてみると、オカマさんが結構いたりしたもので…。
 テレビがメディアとして力をつけてくるとね、権力の介入なんて問題も出てくる。日テレの生首報道(ベトナム戦争当時)への放送中止の指示とか、TBSの当時のキャスター田英夫の「田英夫ハノイの証言」への介入とか、TBS成田事件といわれる過激派への肩入れを勘ぐられる事件や、いろいろと起こってくる。東大紛争の時も現場で取材していたのですが(チャイム)
 じゃまたいずれの機会に。


2021年08月03日|公開:公開