横浜平沼高校の成立~戦後の制度改革

1946年(昭和21年)

第43回卒業証書授与式〔4年で卒業する生徒102名、半数は進級して5年生となる〕(3/15)
プール開き(7月)
年度途中から月・火・木・金〔9時~12時〕の授業となる。土曜日は自宅学習

1947年(昭和22年)

第一高女自治会規約制定
学制改革による新制中学の発足に伴い、2・3年生は「神奈川県立横浜第一高等女学校併設中学校生徒」となる(4月)
新入生の募集は’47年~’49年度無し(4月)
ホームルーム制始まる(4月)
県下女子バスケットボール大会・優勝(5/25)
遠足、学年別に実施(6/17)
ララ物資を配給。*ララ物資:アジア救済連盟の戦略物資のこと
芸能祭(7/16)
2学期始業式(8/26)
級代表による夏季休暇体験発表会(9/1)
生徒自治会が発足〔旧校友会〕(9/1)

生徒自治会役員模擬選挙(9/17)

家庭会(PTAの前身)が発足(10月)
国体出場:バレーボール部、バスケットボール部、水泳部(10月)
生徒自治会文化部主催「アンチゴーネ」公演〔県下学生演劇の出発〕(10月)
英語芸能祭:5年生11名参加。「クリスマスキャロル」・1位(11/12)
模擬市議会に参加:男女中等学校合同で市議会場にて行う(11/20)

会報部(新聞部の前身)誕生。自治会会報「真澄」第1号発行〔以降「第一女子高校時報」「平沼」「平沼時報」と名称が変更される〕(12月)

1947年:日本国憲法施行

1948年(昭和23年)

通信教育部を併置(1月)
第45回卒業証書授与式。62名は新制高校3年に進級し翌年卒業(3月)
6・3・3制に伴い、校名を「神奈川県立横浜第一女子高等学校」と改称。3年生は同併設中学校生徒となる(4月)

CIE(総司令部民間情報教育局)の指導により週5日制が始まる
生徒自治会第1回総会(5/4)
通信教育部開講。入学定員:中・高合計200名(6月)
「第一女子高校時報」発刊(7/1)
学校キャンプが復活〔箱根仙石原〕(7月)
国体出場:水泳女子(9/18)
毎日コンクールピアノ部門で出場した女子・東日本1位(9/27)
国体出場:バレーボール部、ハンドボール部、水泳部、卓球部、体操部(10月)

音楽部が県下高校で優勝(10月)
第2回全国作文コンクール・女子2名入選(10月)
県下作文コンクール・中学・高校1、2、3位独占(10月)
県英語コンテスト・女子1位(10/30)

1949年(昭和24年)

第46回卒業証書授与式〔旧制最終・高校第1回。新制高女卒業生総数:6201名〕(3月)
中原校長退任、保坂周助・第9代校長に就任(4/15)

県立横浜幼稚園を併設(4月)
選択制開始〔講座ごとに生徒が毎時間移動〕(4月)
特別活動〔ホームルーム、生徒集会、クラブ活動〕の時間が正課となる(4月)
本校職員定員32名と決まる(5/1)
ララ物資配給〔ノート、ズック靴〕(5/23)
国体出場:バレーボール部、体操部、水泳部、卓球部(10月)

県音楽コンクール・合唱第1位(11/20)
県立第二高等学校火災見舞金〔1人10円以上〕募金、校舎一部貸与(12/13)
この年、卓球・県下高校大会優勝
バレーボール部・全日本予選優勝

1950年(昭和25年)

保坂校長退任、佐藤秀三郎・第10代校長に就任(1/31)

校名を「神奈川県立横浜平沼高等学校」と改称。新学則制定(4/1)
関連リンク:「平沼」の由来/山口精一(52期)


男女共学小学区制による1回生入学。新入生440名内男子207名(4/5)

家庭会をPTAと改称(4/5)

関連リンク:男女共学むかしいま/永森邦雄(50期)


 

創立50周年記念行事(6/3)

校歌の歌詞を一部変更し現在のものになる〔佐佐木信綱氏に依頼〕(6/3)

関連リンク:花橘52号 連載(4) 瀧井敬子さん(62期)東京藝大助手、音楽評論家

関連リンク:校歌をどう思う/馬場 昇(50期) 母校百周年記念誌より

第1回校内弁論大会(11/21)
「花橘」復刊第1号発刊〔創立50周年記念号〕〔12/30)
陸上部復活、野球・バドミントン・ソフトボール部創部

1950年:朝鮮戦争勃発

1951年(昭和26年)

生徒会報「平沼」を「平沼時報」に改称(2月)
女子標準服ジャンパー型に決まる(4/21)
3学期制を2学期制に改める。毎水曜日に一斉考察を実施(4/25)
柔道場新設。柔道を正課にする(4/25)
講堂で管弦楽演奏会開催〔生徒・PTA主催、神奈川新聞社後援〕(5/27)
生徒手帳できる(5月)
全国高校選手権大会出場:バドミントン部(8/17)
運動会〔第1回四季別仮装〕(10/18)
3階に図書館完成(10月)

テーブルマナーの会(第1回)

国体出場:体操部・9位、バスケットボール部、卓球部(10月)
水泳部女子・県下総合優勝(10月)
新聞部・音楽部、県下コンクール・優勝(11/3)
生徒総会で水曜考察に反対(11/20)〔翌年内容を3年生は進路に合わせて改訂〕
全国高校大学選抜書道展出品:書道クラブ

1951年:対日講和条約調印

1952年(昭和27年)

第1回校内マラソン大会〔男子:本校~子安台往復・1位46分34秒、女子:本校~浦島丘往復・1位42分07秒〕(2/22)

クラス編成を男女別とする(4/1)
女子標準服改訂(4/1)
修学旅行〔3年生:関西、2年生:佐度〕遠足〔1年生:静岡方面〕(5月)
横浜米軍輸送司令部募集論文に男子1等入選〔賞金25ドル〕(7/16)
運動会(10/5)
野球部、秋季県大会で準優勝(10/5)
文化祭を校内展示会に変え、以降文化祭は3年に1度の開催となる(11/1)
県音楽コンクール・総合優勝

学力テスト実施、2年生も参加(12/25~26)
この年、県から「運動選手に対する健康管理の具体的方策」実験校に指定される(~‘53年まで)

1953年(昭和28年)

漢文を必修科目とする(3/31)
新入生〔8クラス〕男女別編成(4月)
修学旅行〔3年生:南九州〕(5/18~25)
「全国一」の体育館竣工。開館式に秩父宮妃・体操オリンピック選手来校〔工費約1500万円〕(7/11)

 

テニスコート完成(7/15)
生徒総会で運動会男女別クラス対抗に反対。四季別を多数で支持(9/28)
週6日登校になる(10/1)
放送部、校内放送を開始。放送設備一応整う(10/1)
運動会〔四季別〕(10月)

 

全国高校総体出場:バスケットボール部・準優勝。全日本選手権・3位(11月)
第1回校内駅伝大会開催〔クラス対抗・本校~野毛~伊勢佐木町~元町~麦田町~間門~八幡橋~杉田~金沢文庫まで10区間:’58年まで続く〕(12/1)

1954年(昭和29年)

修学旅行〔1年生:箱根、2年生:天の橋立、3年生:京都〕(5月)
真澄会館建設基金募集のため西崎緑舞踊公演会(6月)
第1回平翠戦〔三ッ沢競技場・敗北、以後定例化。1980年まで毎年開催〕(7/8)

 

通学域を16区に分けてPTA地区会を開催(7/14)
第1回OBオーケストラ部発表会〔横浜国大講堂〕(7/14)
この年、「神奈川通教部報」第1号発刊