明治天皇「奉悼」式(8/1)
「御大葬」につき遥拝式。本日から3週間授業休止(9/13)
本日から雨天体育館で朝礼実施(10/1)
県立高女時代~大正
- 1912年(大正1年)7/21~
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- 1913年(大正2年)
- 1914年(大正3年)
- 1915年(大正4年)
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高女規定改訂〔生徒定員550名〕(2/2)
第1回新入生歓迎会を実施(4/10)
体格検査始まる〔以後定例化〕(4/19)
開校記念式・第1回体育奨励会〔以後定例化〕(5/5)
寄宿舎柔道場完成(6/14)
理科実験室30坪、同機械室16坪、裁縫室46坪、廊下8坪を増築(8/31)
生徒制服〔矢絣模様元禄袖〕制定(11/10) - 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)
- 1918年(大正7年)
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高女4年生・補習科父母懇談会開催(2/17)
高女生徒定員を600名に改める(3/29)
文部省督学官、東京女高師教授、東京高師教授ら物理化学科を視察(11/14) - 1919年(大正8年)
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高女規則改訂(3/14)
校友会会則改訂(4/24)
長者町大火。類焼の生徒13名、近火者49名に寄宿舎から炊き出し(4/28)
開校記念式。大火のため恒例の運動会は中止(5/5)
有志に水泳実習。体育会の水泳場で練習(7/15)、24日水泳進級証書授与 - 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)
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高女規則改訂〔修業年限4年を5年とする〕(3/29)
時の記念日講演。正午を期して電鈴使用開始(6/10)
第20回学芸奨励会、午後雨天体操場にて慈善市を開催(6/25)
岡野欣之助氏を招待し、侍従派遣について祝賀会を開き、記念帳を贈呈し賀意を表す(11/22) - 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
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第20回補習科修了証書授与式〔最終〕。(3/24)
高女規則改訂〔生徒定員750名に〕(3/30)
関東大震災で本館、理化室を除き全部倒壊、付属小学校焼失(在籍721名中死亡22名・退学18名・転学91名・調査不能8名、在籍582名)(9/1)
第1回生徒招集、女師・高女466名登校(10/1)
職員、受持ち生徒の代表者を引率し死亡生徒の弔問に赴く(10/22)
第3回生徒招集、社会奉仕部よりパンを配給、羅災生徒には下着を配付(10/31)
仮校舎概ね完成、生徒有志登校し、開校準備に当たる(11/10)
高女開校式、13日から授業開始(11/12)
寄宿舎完成、生徒入舎(11/17)
補欠入学試験〔在籍721名中死亡22名、退学18名、転学91名、調査不能8名、在籍582名〕(11/23)
寄贈品・慰問品に対し生徒から礼状発送(11/27)
補欠入学者入学式(11/30)
震災追悼会(12/23) - 1924年(大正13年)
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岡野公園で小運動会開催(2/18)
第21回卒業証書授与式〔安河内知事臨席、高女5年生の第1回〕(3/24)
同窓会を「真澄会」と改称する(4/1)
修学旅行〔高女5年生再び日光〕(5/15)
放課後ベースボール、バレーボール、バスケットボール大会開催(6/21、6/28)
第7回体育奨励会〔岡野公園〕(10/24) - 1925年(大正14年)