百周年を期して
百周年を期して
2000(平成12)年10月28日、創立百周年記念音楽式典が横浜みなとみらいホールにおいて挙行された。ステージ上にはオーケストラ部・吹奏楽部・合唱部の部員に、音楽選択クラス生徒全員、そして、卒業生からなる演奏者が居並び、壮大な演奏をもって百周年を祝った。
この年、記念音楽式典だけではなく、藤棚の設置、記念美術展・歴史資料展の開催、百周年記念誌の発行、記念碑設置、新校旗の作成など、さまざまな記念事業がおこなわれた。そこには世代を超えた「熱い心」が響いていた。生徒百周年実行委員会の一員であった当時の3年生松崎玲は記す。
私達は、新聞を発行するため様々な先輩方とお会いし、たくさんのお話しを聞かせて頂いた。(中略)当時の平沼の様子、学生生活、それぞれの夢、百周年・平沼への思い…。そんな話を聞く中で、ふと私は不思議な感覚に捕らわれた。時代も、世相も、何もかもが移り変わっていく中で、変わらずあり続ける"平沼"という感覚。百年という大きな時の流れの中には、確かに「熱い心」が存在していると感じた。その平沼生の「熱い心」がひとつに結集したのが、MMホールで行われた百周年記念音楽式典ではないのだろうか。続々と入場してくる先輩方。そして、制服を着た現在の平沼生達。あっという間に会場は満員になった。そこには、年月を飛び越えて一体となって歌う平沼生達の姿があった。感動。
(中略)百年分の思いが渦巻いていた。(『花橘』第51号)
創立百周年記念事業を一過性のもので終わらせないために始められたのが「先輩セミナー」である。伝統とは「人」である。各方面で多様に活躍されている卒業生各氏から伝統を現在の生徒諸君に継いでもらうべく、生徒諸君には多様な関心を呼び起こしてもらうべく企画されたものである。
この事業は、2000(平成12)年には1年から3年までの全クラスにて、2001(平成13)年からは1年各クラスにておこなわれている。
旧校舎から仮設校舎へ、さらに現校舎へと移転した前後数年間に、それまで受け継がれてきたいくつかの行事が取りやめになっていた。しかし、2002(平成14)年、平沼祭体育部門として運動会が10年ぶりに復活した。
10年ぶりの体育祭を復活させるのはとても大変で、やってる途中でやめたくなったげれど、一緒にがんばってくれた友達や後輩、先生がいてくれたからやりとげることができたと思います.つらくて大変だったからこそ、返ってくるものも大きかった。高校生活の中で一番の思い出になりました。来年の体育祭は今年よりももっともっといいものにして欲しい。誰かがやるから自分は何もしないんじゃなくて、みんなで体育祭をつくりあげて下さい。(2002年度3年生・北口宏子)
ことは行事だけではあるまい。第2世紀の歩みを始めたいま、これからも受け継ぐべき"伝統"を問い直し、新たな"創造"を見出すことが求められている。